• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

 前編から約2年半を経て、あの連載がついに再開した。

陸上自衛隊史上最大の作戦となった「東日本大震災」。メディアが刻一刻と報じる裏側で指揮官たちは何を思い、何を考えて行動していたのか?

地震発生直後、陸自トップ火箱芳文陸上幕僚長(当時)のとっさの機転により、全国の陸上自衛隊はいち早く被災地に向かい、その結果より多くの命が救われた。しかし…

 火箱陸幕長率いる14万の陸上自衛隊の眼前には、自然の猛威に蹂躙され荒廃した大地が果てしなく広がる。

いつ終わるとも知れぬ災害派遣活動の中で、部隊は次第に憔悴の色を深めていく。

地震と大津波による災害への対処と福島第一原発事故という「二正面作戦」を強いられた陸上自衛隊。

どこまでいっても勝つことはない「自然災害との戦い」の先に、彼らを待ち受けていたものは?

第53回 大鷲の憂愁 獅子の涙(21)

遅々として進まない30キロ圏内捜索活動

 しかし火箱陸幕長の環境整備への努力の甲斐もなく、「30キロ圏内の行方不明者捜索」は遅々として進まなかった。

 

堀口第12旅団長からは「30キロ圏内の行方不明者捜索」についての作戦計画がJTF東北(統合任務部隊)司令部に提出されたが、JTF東北で止まったままになっている。そのJTF東北の対応は、堀口をして、ある種の「不信感」にも似た感情を抱かせるほどに動きが鈍い。

 

火箱も一度は、君塚JTF司令官に、「JTF東北から統幕に計画をあげろ」と話してみるが、「大臣の命令を聞かなければいけない…」と煮え切らない。

 

陸上幕僚監部の小林運用支援・情報部長から統幕にあげた計画も、同様にストップしたまま時間だけが過ぎていく。

 

その積極的な「主たる要因」は、「なんぴとたりとも警戒区域に入れてはいけない」という官邸の政治的な判断と、こうした官邸との調整に統幕が手間取っていたことがある。

 

しかし当時の状況を振り返ってみれば、一方で「消極的な要因」も存在する。

消極的な理由

 その第一は、当時、「政治」の関心の大半が、それは「国民の関心の大半が」、とも言い換えられるが、「福島第一原発事故対処」に注がれ、それ以外は二の次だったこと。

 

原発事故の帰趨は日本に住む全国民の生命にも関わることだから、やむをえない側面もあるが、一方で状況は徐々に沈静化を見せている段階だったから、より冷静な、広い視野に立った判断があるべきだったと言えるのかもしれない。

 

そしてJTF東北に目を転じれば、君塚司令官の関心の大半は宮城県沿岸部の被害に占められていたであろうこと。

 

現実を見れば、石巻市を始め、宮城県沿岸部の被害は圧倒的だ。さらに3月14日以降、福島第一原発の原子力災害対処はCRF(中央即応集団)に一任され、JTF東北の任務と分けられている。

 

「30キロ圏内の行方不明者捜索」は、本来はJTF東北が所管すべき事項だが、CRF隷下の中央即応連隊や第一空挺団が原発周辺に展開していることもあり、「原発周辺の事象」として、仙台にあるJTF東北から見れば、他の地域の災害派遣活動とは一線を画する見え方をしていたのも否めないだろう。

全般作戦計画を策定せよ

 火箱は市ヶ谷の陸上幕僚監部で、さらなる手を画策した。

 

それは、この未曾有の規模の災害派遣活動を幕引きさせる「全般作戦計画」の策定に着手させること。

 

火箱は統幕運用部をフルサポートさせるために、当面作戦は陸幕運用支援・情報部が、将来作戦については陸幕防衛部防衛課が担当するよう、通常時と異なる業務分担のシフトをすでに指示していた。

 

「全般作戦計画」はいわゆる「将来作戦」に属することだから、当然ながら陸幕防衛部に命じることになる。

 

防衛部のトップは火箱の腹心である番匠幸一郎陸幕防衛部長。

 

イラク・サマワへの陸自派遣の指揮官であり、安倍首相をして「自衛隊の逸材」と称せしめた人材だが、番匠防衛部長は、「米軍との共同作戦=トモダチ作戦の統幕側の連絡幹部をお願いしたい。」との折木良一統幕長からのたっての要請で、当時、横田基地に行きっぱなしになっていた。

 

火箱は、まず番匠の部下にあたる吉田圭秀陸幕防衛課長に、統幕が全般作戦計画についてどう考えているのか、統幕内の状況を探らせた。

 

しかしその答えは、「現状ではどこから着手してよいか、手をこまねいている」といった状態だった。

 

 

「だったら陸幕がもっと踏み込んで統幕を支えなけりゃいけないだろう。全般作戦計画を立てないといつまでも果てしなく、この状況を続けることになるんだぞ。」

 

 

火箱は陸幕が主体的に統幕を支えるべく、全般作戦計画の策定を行なうよう吉田にハッパをかけた。

自分たちのところで作りますから

 程なく、この話を聞きつけて、航空自衛隊出身の廣中雅之統幕運用部長が火箱の元に飛んできた。

 

 

「陸幕長、全般作戦計画は自分たちのところで作りますから!」

 

「おう、ぜひよろしく頼むよ。ただ作る際には陸幕とよく相談してくれよ。」

 

 

廣中もまた空自出身の優秀なエリート幹部で、今や折木統幕長の片腕として福島第一原発対処など統幕が発する作戦命令立案の要になっている。

 

廣中には「自分たちの仕事だ」という自負も責任感もあったのだろうが、一方で、統合幕僚会議から統合幕僚監部に格上げされたとは言え、この未曾有の災害に対しては統幕が決定的に人員不足に陥っていることも火箱は良く分かっていた。

 

廣中がどんなに優秀でも、陸幕がよほど協力しなければ、膨大な陸上自衛隊が展開するこの災害派遣活動全体の作戦計画を迅速に立案することは難しい。

 

火箱がじわじわと外堀を埋めるように、「30キロ圏内の行方不明者捜索」への布石を打つ一方で、1か月後に先延ばしした陸上自衛隊の人事発令の日も次第に迫りつつあった。

 

そして奇しくもその異動対象の将官リストには、30キロ圏内の行方不明者捜索における最大のキーパーソン、「堀口英利第12旅団長」の名前が連ねられていた。

 

 

(次回につづく)

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