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陸自史上最大の作戦 東日本大震災

陸上自衛隊 現在の実員数 約14万人。
創設から58年の歴史の中で史上最大の作戦は、言うまでもなく「東日本大震災への災害派遣」だ。
のべ派遣人員1066万人、派遣期間291日間、犠牲になった隊員は5名。
福島第一原発上空で放水する陸上自衛隊のヘリコプターのテレビ映像に釘付けになった人も多いだろう。
メディアで刻一刻と状況が報じられる裏側で、陸上自衛隊に何が起き、どのように作戦を遂行していったのか?
当時の陸上自衛隊トップ 火箱芳文前陸上幕僚長が2年近く経った今、「史上最大の作戦」の真実を語り始めた。

第22回 プロメテウスの希望 ゼウスの怒り(17)

自衛隊が全体の指揮をとる

 池田元久経産省副大臣と交代して、現地対策本部長に着任した松下忠洋経産省副大臣に田浦正人CRF副司令官は切り出した。

 

「お願いがあります。」

 

「現場は混乱しています。注水作業に関して何らかの統制をする必要があるんじゃないでしょうか?ただそれでも現場での対応には限界があるので、中央でも省庁の垣根を越えた調整がどうしても必要です」

 

 松下副大臣は田浦の要請を受けて、すぐに統合対策本部にFAXを送った。

 

 これに応える形で、翌18日午前、細野豪志内閣総理大臣補佐官名の「3月18日の放水活動基本方針について」という指示書が発出された。

 

 

 本日および今後の放水活動の基本方針は以下のとおりとする。

 

1. 本日14時ごろから15時ごろをめどに、自衛隊消防部隊が3号機に向けて放水し、これに続いて、米軍高圧放水車が放水する。

 

2. 上記1の放水活動の撤収後(15時半ごろ)、東京消防庁救助機動部隊(「ハイパーレスキュー隊」)が、3号機に向けて放水する。

 

3. 以上1および2の活動を含め、今後の放水、除染等の活動については、自衛隊が全体の指揮をとる。

 

長島昭久元防衛大臣政務官というパイプ

 警察や消防が自衛隊の指揮下に入る。

 

 これまでの戦後の歴史を見ても、法制面からもシビリアンコントロールの観点からもあり得ないことだった。

 

 細野総理補佐官の指示書が発出される前日の3月17日。

 

 菅直人総理は東日本大震災への対応のため、震災の2ヶ月前に官房長官を退任したばかりの仙谷由人民主党代表代行(当時)を官房副長官として急遽、官邸に呼び戻した。

 

 官邸入りした仙谷官房副長官は、官邸機能を強化するために官房副長官の私的スタッフ、いわゆる「チーム仙谷」を招集する。

 

 元防衛大臣政務官の長島昭久民主党衆議院議員は、このチームの一員として官邸に詰めていた。

 

 18日午前、細野総理補佐官による指示書発出に際し、陸上幕僚監部防衛部長の番匠幸一郎陸将補は、この長島元政務官から連絡を受ける。

 

 番匠は火箱陸幕長に報告するため、長島元政務官から受け取った「指示書」を持って、陸幕長執務室へ向かった。

東電・自衛隊 V.S. 警察・消防

「これは……。」

 

 指示書の内容を読んで、火箱はしばし絶句した。

 

「法律のどこひっくり返しても、自衛隊が他省庁の皆さんを『指揮』はできんだろう。指揮という言葉の重みを分かっているのかな……」

 

 火箱と番匠は顔を見合わせて苦笑にも似た表情を浮かべた。

 

 自衛隊における「指揮権」とは、「事に臨んでは危険を顧みず…」と宣誓した隊員に対し、有事の際に必要あらば「命の危険がともなう任務」でも命令できる権限、つまりある種の「生殺与奪の権」を意味する。

 

 被ばく量が高い状況でも放水がどうしても必要なら、現地の自衛隊指揮官が消防や警察に「命がけで放水してこい」と命じろと言うのか…。

 

 火箱も、もちろん現場の苦悩は理解している。当初は東電に対し不信感を抱いていた自衛隊も、「福島第一原発という現場」で作業をしている部隊は、東電との意思疎通も深まり始め、ある種の「信頼感」も生まれつつあった。

 

 事故の当事者として、1分1秒でも復旧作業に費やしたい東電 現地職員の「焦燥感」は痛いほど分かる。

 

 だから自衛隊は、「時間厳守」を徹底して放水活動を行なうことによって、東電の電源復旧作業を最優先させた。この事によってお互いの時間のロスは最小限に抑えられ、効率的な作業が可能になる。

 

 自衛隊は当初から中央即応集団(CRF)という同じ部隊の同じメンバーが投入されていることもあって、こうしたオペレーションができるが、「天の声」によって現場の状況も把握できないままに唐突に投入される警察や消防には、なかなか「時間通りの作業」というのも難しい。

 

 現場では、「東電・自衛隊 V.S. 警察・消防」という軋轢が目立ち始めていた。

内閣総理大臣名の指示書が必要だ

 しかし、いくら「非常事態」とは言え、自衛隊とて「国の行政機関」の一つ。この細野総理補佐官名の指示書をもって「正当性」を各所に主張するのはさすがに難しい。

 

 火箱が番匠に対して指示した要点は2つだった。

 

「総理補佐官名の指示書じゃ部隊に指示できない。内閣総理大臣名の指示書が必要だ」

 

 自衛隊の指揮権限は、防衛大臣、そして内閣総理大臣にある。法律上自衛隊に対する指揮権限を持たない「内閣総理大臣補佐官」の指示書には本来、何の効力もない。

 

 そしてもう一つは、

 

「自衛隊が『全体の指揮をとる』ことはできないだろう。この第3項目を『何らかの統制を行なう』か、『調整の中心として作業をする』との主旨に変更できないか?」

 

 現地の自衛官に、警察・消防の人たちに対する「生殺与奪の権」を与えるのは、あまりに「重い責任」を押し付けることになるし、とても「現実的な方策」には思えない。

 

 しかしすでに指示書は発出されているし、作業を止めるわけにもいかない。大至急、何とかして「法的にも組織原理としても正常な状態」を作らなければならなかった。

 

 2人が思いついた「最短コースで指示書の修正を可能にできる人物」、それは番匠に連絡してきた長島元政務官だった。

 

 民主党きっての防衛政策通で、何よりも鳩山内閣で防衛大臣政務官を務めていることから、火箱や番匠とは気心が知れている。

 

 番匠は、すぐに長島元政務官に連絡をとり、「指示書の修正」について調整を要請、長島はすぐに番匠の言わんとするところを理解し、官邸で調整役を遂行した。

原子力災害対策本部長 指示

 2日後の20日早朝、内閣総理大臣名での指示書が改めて発出される。

 

 「原子力災害対策本部長」の大きな権限を最大限に利用したその指示書は、原子力災害対策本部長である内閣総理大臣が、警察庁長官、消防庁長官、防衛大臣、福島県知事、東京電力代表取締役社長に宛てた「指示」となっている。

 

 そして、その中には、火箱や番匠が求めた「指揮」から「調整」への変更という内容が反映されていた。

 

 

 東京電力福島第一原子力発電所で発生した事故に関し、原子力災害特別措置法第20条第3項の規定に基づき下記のとおり指示する。

 

                   記

 

1. 福島第一原子力発電所施設に対する放水、観測、及びそれらの作業に必要な業務に関する現場における具体的な実施要領については、現地調整所において、自衛隊が中心となり、関係行政機関及び東京電力株式会社の間で調整の上、決定すること。

 

2. 当該要領に従った作業の実施については、現地に派遣されている自衛隊が現地調整所において一元的に管理すること。 

 

 

 
 自衛隊が内閣総理大臣の指示により、警察や消防を一元的に管理して災害対処にあたる。2011年3月20日は戦後の自衛隊、警察、消防の歴史の中で画期的な日となった。

私が調整役になりました

 しかし、この内閣総理大臣名の指示書が発出されたのは、細野総理大臣補佐官名の指示書が発出されてから2日後のこと。

 

 それまでの間は、自衛隊は現場で「法的に不安定な立ち位置」のままになる。

 

 田浦は18日午前、Jビレッジに集まった各組織の責任者の前で、あいさつをする。

 

「私が調整役になりました…。」

 

 あえて、「調整役」という言葉で、低姿勢に自分の「立ち位置」を紹介した。

 

 そして「調整役」となった田浦の、まさに「調整能力」を試すかのように、試練の時はすぐそこまで近づいていた。

 

              (次回につづく)

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