• 歴史

東日本大震災が起きてから、日本の歴史が震災という新たな角度で注目されるようになった。

 

M8.0クラスの大震災
富士山の噴火
大飢饉を招いた気候の寒冷化
など

 

かつては「大げさ」の一言で片付けられがちだった古文書の内容が、現実を目の当たりにして笑い事では済まされなくなったからだ。


歴史の記録には、我々の祖先が体験してきた貴重な記憶が詰まっている。

当連載では、それをやさしく紐解くことで、災害の今昔を学んでいきたい。

第二十四巻 浜名湖と海をつなげた南海トラフ地震

 1467年、京都で応仁の乱が勃発した。

 歴史の授業では「戦国時代へ突入するキッカケとなった戦争」と説明される通り、京都近郊の有力武家たちが東軍・西軍の真っ二つに分かれ、都を舞台に約10年も争ったのである。

 

 その結果、京都は廃墟同然となり、当時の政権を担っていた室町幕府の権威は失墜。政府は完全に機能マヒに陥った。

 

 それと比例するようにして、地方の守護大名や権力者たちは独立化の動きを進め、全国各地の事件や災害情報は、ほとんど中央へ届けられなくなる。

 

 そんな日本中が混沌としていた1498年、東海地方をある巨大地震が襲う。

 明応地震だ。

 

明応地震の正体は南海トラフ地震だった

 明応地震は、日本で起きた過去の巨大地震の中でも最大クラスの規模だった。

 推定マグニチュードはM8.2~8.4。東日本大震災のM9.0には及ばないものの、東海沖を震源とする大きな揺れは巨大津波を巻き起こし、東海地方を中心に甚大な被害をもたらした。

 

 その代表例が遠江(静岡県)の浜名湖である。

 

 静岡県浜松市の浜名湖は、ご存知、うなぎの名産地である。東海道新幹線の車窓から雄大な姿を目にした方も多いだろう。

 当時の国名だった遠江が「都から遠いところにある湖」と浜名湖のことを指すほど同地方を代表する湖であり、海とつながった汽水湖(海水と淡水が混ざり合う湖)である。

 

 しかしこの浜名湖、1498年までは完全な淡水だった。明応地震の津波によって湖と海がつながってしまったのだ。

 

 地震前の浜名湖は、海岸から3キロほど内陸にあった。海と湖の間には陸地があり、周囲には町や港もあった。すぐそばには静岡を代表する天竜川も流れており、水上交易も盛んだったのである。その全てが一瞬にして流されてしまった。

 

 津波の恐ろしさは、東日本大震災で皆さんも十分に御存知だろう。宮城県や岩手県の様々な街があっという間に飲み込まれたが、明応地震の場合は、町や港を襲っただけでなく、浜名湖と海を隔てていた陸地まで削り取ってしまったのだ。

 

 それにしても、なぜ、これほどまでに大きな地震が発生したのか。

 東海沖を震源とする地震と言えば、まず頭に浮かぶのは東海地震である。そしてその東海地震とは、いわゆる南海トラフを震源域としている。

 そう、この明和地震とはまさに現代でも被害が懸念されている南海トラフ地震だった。

 

 

巨大津波によって町が一瞬で消滅

 南海トラフの震源域は東海、東南海、南海の3つに分かれている。最も怖いのは3つの地域がほぼ同時期に揺れる三連動地震で、周囲に甚大な被害をもたらす。

 明和地震は、まさにこの三連動地震と考えられている。

 

 当時、浜名湖から海へ流れる川岸には「橋本」という港町があった。付近には五街道の一つ・東海道も通っており、湖には陸橋もかかっていたという。

 残念ながらそれらはすべて流されてしまい、地震後、浜名湖付近でわずかに生き残った人たちは、また湖の近くに新しく町を作る。

 

 もしかしたら彼らもよその土地へ移動したかったかもしれない。が、時折しも戦国時代である。平時でも困難な引っ越しをする余力は残ってなかっただろう。

 

 復興までの道のりは、相当困難だったハズで、実際のところ、隣接する駿河地方の交易市場(静岡県磐田市の元島遺跡)では、地震の前後で交易用陶器の数が4分の1に激減している。

 川下の港町が津波で壊滅したため、物流が途絶えてしまったのだ。

 

 

 当時の数少ない史料として、近衛政家という貴族が、明応地震の様子を『後法興院記』という日記に記している。

 

「伊勢・三河・駿河・伊豆に大津波が襲い、海岸から100メートルほどの場所にある民家はみな流され、数千人が死んだ」

 

 日記には、一番被害の大きかった「遠江」の記述がない。地方と中央がバラバラだった、当時の日本全体の苦境が垣間見える。

 

 

200年後 再び津波に襲われ…

 1603年、戦国時代は終わり、江戸時代となった。全国にようやく平和が訪れ、はたして浜名湖付近の町も無事に復興したのだろうか。

 

 残念ながらこの答えは微妙だ。

 一時は、元通りに復活したかもしれないが、1498年から209年後の1707年、再び南海トラフ地震が津波を引き起こし、移転先の町を襲ったのだ。

 踏んだり蹴ったりとはまさにこのこと。このあと、町は再び、移転を余儀なくされている。

 

 

 現在、浜名湖の付近には新幹線や東名高速道路が走っている。もし再び巨大地震が発生したら、この地が津波に襲われる危険性は、残念ながら小さくはないだろう。

文・恵美嘉樹(えみよしき)
作家。歴史研究の最前線の成果を社会に還元する二人組。
著書に『全国「一の宮」徹底ガイド』(PHP文庫)、『最新日本古代史の謎』(学研)など。

好きな湖は洞爺湖

 

参考文献
峰岸純夫『中世災害・戦乱の社会史』(吉川弘文館)
矢田俊文『中世の巨大地震』(歴史文化ライブラリー)
安田政彦『災害復興の日本史』(歴史文化ライブラリー)

日本歴史災害事典(吉川弘文館)

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