• 防災知識

真に学ぶべき教訓は実体験にある

 想定外の巨大地震。一通りの防災知識は身につけたつもりでも、体験なき者にはリアルにその状況を想像することすら難しい。

『本当の教訓』は、たいてい教科書には載っていない。我々が知っている知識は、その時どれだけ役に立つものなのか?

 

 この連載では、ベストセラー『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』、『ふたたび、ここから』を執筆したジャーナリスト池上正樹とフォトジャーナリスト加藤順子が、実際に被災地を取材する中で感じた、さまざまな「被災地のリアル」を伝える。

そこから「被災するという事」をリアルに感じ、その日のために大切な教訓を学びとってほしい。

 

第1回 『避難所』か?それとも『在宅』か? 避難のリアル

 あなたの住む街が巨大地震に見舞われた時、幸いにも?自宅は全壊を免れた。何とか住む事はできる。しかし電気・ガス・水道などのライフラインは当然ストップ。食料の備蓄もさしてない。
避難所に行けば、不便はあるものの、最低限の水や食料は支給されるだろう。
あなたは家族を連れて、近くの避難所に避難しますか?それとも半壊した自分の家にとどまりますか?

 もし、ご家族に『寝たきりの高齢者』がいたら、あなたはどうします…? 

『薬を飲んでいる人は扱いません』 A子さんの選択

 3・11の後、私たちは、たまたま取材で入った宮城県石巻市を中心に、1年9カ月にわたり、東北沿岸の被災地を歩き回ってきた。

 中でも石巻市は、死者・行方不明者を合わせると、約4000人に上り、被災地の中でももっとも大きな被害を受けた地域だ。

 私たちが被災地に入ったとき、津波による浸水で家が流失した人たちは、もちろん避難所で暮らしていた。その一方で、私たちが目にしたのは、メディアでほとんど報じられることのない、かろうじて残る損壊家屋の2階などに留まり、自立を余儀なくされていた在宅被災者の実態だった。

 震災後、彼らがまず直面した問題は、すぐに避難所に入るべきか、それとも損壊した自宅に留まるべきかの選択だった。

 石巻市万石町の2階建て住宅に住むA子さん(当時74歳)は、震災のとき、寝たきりの夫(当時75歳)が使う1階のベッドのすぐ下まで浸水した。A子さん自身も、手足が不自由で、夫を2階へ運ぶことができなかった。

 水が引いてから、近くの避難所へ避難した。周辺の高台は、そこしか残っていなかった。ところが、避難所で待っていたのは、冷たい反応だった。

「薬を飲んでいる人は、ここでは扱いません」

 誰だかわからない相手から拒否されたのだ。医療機関に頼ったものの、療養所に回されて、症状はどんどん悪化。自宅ではしていなかったオムツまでするようになった。結局、自宅のほうがいいと戻ってきたという。


何を選ぶのか?『在宅被災者』の実態

 避難所へ入れば、水や食べ物に困ることはない。物資配給や訪問医療、行政などからの様々な情報も提供される。
 一方、2011年の夏になっても、ほとんどの家屋は、壊れたままだった。街を歩くと、瓦礫からツーンとしたきつい腐敗臭が鼻を突き、被災者たちが「震災バエ」と呼ぶ肉厚のハエが大量に飛び交っていた。

 そんな外の劣悪な環境の中、私たちが訪れた在宅被災者たちは、津波でぶち抜かれた窓や壁にブルーシートや板切れでふさいだだけの住まいで、ご飯を食べ、就寝していた。

それでも、彼らが自宅を選んだのには、理由がある。

「避難所はゴザ1枚で寒くて眠れない」
「配給されるご飯は、年寄りには食べられない」
「住み慣れた家を離れたくなかった」

といったものだ。
ペットがいたために断念した人もいる。

 また「避難所には縄張りがあって、途中から行くと、あまりいい顔されない」など、避難所の人間関係に辟易して自宅に戻る人も少なくなかった。
 物資や情報に恵まれた避難所へ行くか、どんなに過酷な環境でも、自宅に残るほうがいいと思うのか?

 震災に見舞われたとき、その後の支援や対立関係なども考えながら、私たち自身が選択を迫られることになる。

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