• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

 前編から約2年半を経て、あの連載がついに再開した。

陸上自衛隊史上最大の作戦となった「東日本大震災」。メディアが刻一刻と報じる裏側で指揮官たちは何を思い、何を考えて行動していたのか?

地震発生直後、陸自トップ火箱芳文陸上幕僚長(当時)のとっさの機転により、全国の陸上自衛隊はいち早く被災地に向かい、その結果より多くの命が救われた。しかし…

 火箱陸幕長率いる14万の陸上自衛隊の眼前には、自然の猛威に蹂躙され荒廃した大地が果てしなく広がる。

いつ終わるとも知れぬ災害派遣活動の中で、部隊は次第に憔悴の色を深めていく。

地震と大津波による災害への対処と福島第一原発事故という「二正面作戦」を強いられた陸上自衛隊。

どこまでいっても勝つことはない「自然災害との戦い」の先に、彼らを待ち受けていたものは?

第26回 軍の将 兵の将(1)

士官と兵士

 どこの軍隊もそうだが、自衛隊にもキャリア組ノンキャリア組がある。

 

 例えば防衛大学校を卒業して幹部自衛官となれば、その自衛官はキャリア組、つまり「士官」としての人生が待っている。

 

 防大卒業時点で、階級は「幹部候補生たる曹長」。幹部候補生としての教育課程を終えれば、自動的に3等陸尉(旧軍風に言えば陸軍少尉)から、そのキャリアが始まる。

 

 一方、例えば高校を卒業して自衛官候補生として3ヶ月の教育後に、陸自なら「2等陸士」に任官するのがノンキャリア組、その先には「曹士」つまり「兵士」としての人生が待っている。

 

 もちろん下士官(つまりは陸曹長)から士官(つまりは3尉)への昇進課程は、狭き門ながら残されている。

 

 しかしノンキャリア組からキャリア組に昇進する人はほんの一握り、ほとんどのノンキャリア組は「一兵士」として、その自衛官人生を終えることになる。

 

 3尉で始まり、自分の能力と努力次第では、陸海空3自衛隊制服組のトップ「統合幕僚長」を目指すこともできる幹部自衛官と、陸曹長(陸曹候補生選抜試験に合格しなければ陸士長)で頭打ちになる曹士とは、同じ自衛官といえども、仕事の内容はもちろん、見えている景色も、価値観も、心に秘める悩みも違う。

陸曹は部隊の要

 しかし人間の実力は、「階級」だけで決まるわけじゃない。

 

 任官したての幹部自衛官が現場の曹にいびり抜かれる、なんてシーンもドラマなどで目にすることもあるが、確かに防衛大学を卒業したて、20歳代前半の3等陸尉の小隊長をあしらうのは、百戦錬磨の陸曹にとって、赤児の手をひねるより簡単だ。

 

 「生意気だ」と、いびり倒されるのか、将来の自衛隊を背負って立つかもしれない大事な若者、「幹部自衛官としてのキャリアに傷をつけさせちゃならない」と、自分の父親か兄貴のような年齢の陸曹に助けてもらえるのか。

 

 まさに小隊長の運命は「陸曹次第」で天国にも地獄にもなる。

 

 だから現場の部隊において、百戦錬磨、酸いも甘いもかみ分けた「大人の鬼軍曹」は、兵士からも指揮官からも頼りにされる「部隊の要」となる。

 

 しかし、みんなから頼りにされる優秀な陸曹がいたとして、仮に幹部への昇進試験を受けて合格してしまったら、防大出たての若者と同じ3等陸尉になってしまう。

 

 これは本当に、「百戦錬磨」の経験やノウハウを有効活用していると言えるのか?

 

 だから、指揮官の不安も、兵士の悩みも分かってやれる、キャリア組とノンキャリア組の橋渡しをしてくれる優秀な陸曹を、より活用できる制度が作られた。

陸自最先任上級曹長

最先任上級曹長

 

 その役目は、部隊の司令部にあって、最高指揮官に対し、曹士の立場、視線から様々な助言をすること。

 

 中でも陸上自衛隊最先任上級曹長は、陸上幕僚監部にいて、陸上自衛隊のトップたる陸幕長への助言を行なう。

 

 

 陸自最先任上級曹長 清水一郎

 

 

 清水は、火箱陸幕長が10師団長当時から、陸曹として火箱に仕えていた。

 

 火箱が14万人の陸上自衛隊のトップだとすれば、清水はその約7割を占める、10万人近い曹士のトップ。

 

 「陸上自衛隊最高の鬼軍曹」ということになる。

 

 現場の部隊を知り尽くした清水にかかれば、隊員の表情、顔色を見ただけで、その部隊の士気や練度、置かれている状況、ひいては指揮官の資質までもが、一瞬にして見抜かれてしまう。

 

 ましてや現場の各部隊は、火箱と清水が親しい間柄なことも知っている。清水がそこにいるということは、陸自トップの火箱がそこにいるのと同じこと。

 

 だから清水が現地の部隊を訪れると、誰も彼もが「清水さん何かあったんですか?」と、不安そうに尋ねる。

 

 現場の部隊からすれば、清水は火箱の「公儀お庭番」のような存在に映った。

2011年3月11日午後2時46分

 2011年3月11日午後2時46分。

 

 中部方面隊(兵庫県伊丹市)への出張の途上にあった清水は、新幹線の車中で、「運命の瞬間」を迎えた。

 

 岡崎駅を過ぎたあたりで、新幹線が緊急停止した。

 

「こりゃ、何かあったな…」

 

 窓から外の景色をのぞくと、名古屋の方角で電信柱が大きく揺れているのが目に入った。

 

「すぐ東京に戻らなきゃ…」

 

 しかし、新幹線は当分、動く気配はない。清水はやむなく新幹線を降りると、第10師団司令部(名古屋市守山区)に向かった。

 

 清水が到着した時、すでに第10師団司令部は喧噪に包まれていた。

 

 火箱の指示により、河村仁師団長自らが先遣隊を指揮し、今まさに600キロの陸路を踏破して、遥かな被災地へ向かおうとしている。

 

「間が悪いなあ…。東京に居れば自分も、もっと何か出来たかもしれないのに」

 

 清水は、25年間という長い間、自分が勤務していた部隊が、師団長以下飛び出していくのを見送るしかなかった…。

 師団司令部からほど近い自宅で仮眠をとった清水は、翌朝ようやく動き出した新幹線で東京へ戻った。

 

 そんな清水が東京で最初に目にした光景は、新橋駅にあふれかえる帰宅困難者たち。

 

 山手線も総武線も動かない。意を決して清水は、市ヶ谷の防衛省まで歩き始めた。

 

「早く行かなければ…」

 

 気がせいて小走り気味に歩いたおかげか、約2時間後には市ヶ谷の陸上幕僚監部に到着できた。

 

情報のブラックホール化

陸上幕僚監部は案の定、騒然とした空気に包まれていた。

 

 清水の帰還を報告すべき、火箱は地下の作戦室にこもりきり。

 

 清水はまず、全国の各部隊が被災地のどこに入り、どこに指揮所を置いているのかを確認すべく、各部隊の最先任上級曹長に連絡をとった。

 

 もちろん東北方面総監部が最新の被災地の情報を持ってしかるべきだが、こうした大災害が起きた時に、その中心にいる、当事者たる部隊が最も情報を把握することが困難に陥りがちになる。

 

 阪神淡路大震災の時にも、最初に災害派遣に向かった部隊の一員だった清水は、その経験から「情報のブラックホール化」とでも呼ぶべき現象が起きることをよく分かっていた。

 

 ようやく会うことができた火箱の表情を見れば、現地に派遣された部隊の現状を正確に把握できないことに、やきもきしているのは手に取るように分かる。

 

 陸上幕僚監部全体に、情報の収集が思うように進まないことへの「焦燥感」めいた雰囲気が漂い始めていたが、逐一報告を現場に求めることは、1分1秒を争って救助活動を行なっている災害派遣部隊に不要な負担を強いることになる。

 

 電話で報告を求めるのではなく、誰かが直接現場に行って、状況を把握する必要があった。

 

 しかし陸幕幹部たちは、全国からの派遣部隊をオペレーションすることで手一杯、とても陸幕を離れられるような状況ではない。

現場に行かせてください

「これは、自分の役目だな…」

 

 清水は火箱と陸幕副長に申し出た。

 

「現場に自分を行かせてください。行ってもいいですか?」

 

「行って来い。しっかり現場を見て、何が足りていないのか、隊員は何に困っているのかをしっかり確認してこい」

 

 14日午前8時30分からの防衛省対策会議後の陸幕デブリーフィンングの席上、火箱から最終的な指示が出た。

 

 被災地までの交通手段はパジェロ。用意した装備は「デジカメ」と「メモ用のノート」と「毛布」とわずかのカップラーメンと缶メシ(缶詰の戦闘糧食)のみ。

 

 清水は、会議室を飛び出ると、最先任上級曹長付きのドライバーと、もう一人の陸曹との3人でパジェロに乗り込み、ズタズタに寸断された陸路を東北方面総監部のある宮城県・仙台へとひたすら走り始めた。

 

(次回へつづく)

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