• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

陸上自衛隊 現在の実員数 約14万人。
創設から58年の歴史の中で史上最大の作戦は、言うまでもなく「東日本大震災への災害派遣」だ。
のべ派遣人員1066万人、派遣期間291日間、犠牲になった隊員は5名。
福島第一原発上空で放水する陸上自衛隊のヘリコプターのテレビ映像に釘付けになった人も多いだろう。
メディアで刻一刻と状況が報じられる裏側で、陸上自衛隊に何が起き、どのように作戦を遂行していったのか?
当時の陸上自衛隊トップ 火箱芳文前陸上幕僚長が2年近く経った今、「史上最大の作戦」の真実を語り始めた。

第4回 兵站(たん)線こそ生命線

素人は『戦略』を語り、プロは『兵站』を語る

 最近は、「素人は『戦略』を語り、プロは『兵站』を語る」と言うビジネス格言もあるようだが、太平洋戦争の例を持ち出すまでもなく、近代の戦争において兵站(ロジスティクス)は重要だ。

被災地に10万人の自衛隊員を動員すれば、それだけで10万人分の糧食などの物資を補給する必要がある。

 

 「本能や直感のまま」とも見える初動での火箱陸幕長の指示だが、今改めて振り返ると、その『直感』はいくつかの点で極めて特徴的だ。

 

◯1つ目は、発災直後の段階で各方面隊に「施設団」の出動を要請していること。

 

これは、地震直後から『津波被害』を予感していた?事を意味するのか。

 

火箱は当時の心境について、「中部方面総監時代に見せられた昭和南海地震による津波被害の写真が脳裏をよぎった」と述懐している。

 

◯二つ目は、関東の東部方面隊が南から、北海道の北部方面隊が北から、東北方面隊をはさみ撃ちするような形で兵站支援を行なうよう指示していること。

 

これは、まさに『作戦のプロならでは』の妙味。

◯三つ目は、発災直後に各方面隊に『被災者の生活支援をするための部隊』の出動を要請していること。

 

 後方支援部隊は、有事の際に、補給・輸送・衛生を始めとした様々な前線の軍事活動を支援するための部隊だ。

 

 もし、自衛隊が大規模な災害派遣を行なうとすれば、災害派遣活動自体を維持するために必要な『後方支援部隊』も派遣するのは当然だが、『被災者の生活支援をするための部隊』となると話は少し違ってくる。

 

 通常、自衛隊が人命救助、捜索など行をない、救出したとすれば、被災者は自治体、消防、警察などに引き渡される。

 

 自衛隊が被災地などで『主体となって生活支援』を行なう場面は、そうはない。

あくまで生活支援の主体は『自治体』だ。自衛隊は、その自治体の要請のもと、『お手伝いする立場』にある。

 

 だから通常の後方支援部隊とは別に『被災者の生活支援のための部隊』を出動させたならば、「被災者を救出した後も自衛隊が面倒を見なければならない」と言う想定(想像?)が、作戦立案者の頭の中にあったとしか考えられない。

 

 つまり、まだ被害状況も分からない地震発生当初から、火箱は、「自治体機能が失われる=誰も秩序だって面倒を見ることができないほどの被害状況を予期していた。」と言うことになる。

 

 『作戦としての評価』と言う立場から見ると、まさにこの点こそが、東日本大震災における特徴的なポイントであり、今後の大規模災害への対応における極めて重要な課題だと言える。

 

『(一時的にせよ)自治体機能が喪失するレベルの大規模災害における自衛隊の災害派遣はどうあるべきか?』

 

 いずれにせよ、初動以降も火箱の兵站・後方支援に対する独特の『思い入れ?』は継続され続け、日増しに際立っていった。

災害派遣全部隊 到着

 火箱が『初動』にこだわったこともあり、12日以降、全国の陸上自衛隊の災害派遣部隊は被災地に続々と到着しつつあった。

14日時点で、火箱は以下の部隊が災害派遣活動中との報告を受けている。

 

第6師団(神町)、第9師団(青森)、第2師団(旭川)、第10師団(守山)、第12旅団(相馬原)、第2施設団(船岡)、第4施設団(京都)

 

さらに15日になると、これに第4師団(福岡)、第5施設団(小郡)、中央即応集団(朝霞)が加わる。

 

 前代未聞の規模の部隊招集としては、それなりには評価されるべきスピードでの展開状況だが、にも関わらず、火箱は、市ヶ谷防衛省の陸上幕僚監部で、ある種の『違和感』を感じていた。

何か変だなあ…

 最初に火箱が、その『違和感』を口にしたのは13日のことだった。

日を追って被災者の数が増えていく状況に、当初派遣した規模では、すべてが到底足りていない。

その事は火箱もよく認識していたが、それにしても『数の問題』とは性格を異にする『何かの歯車が回っていない』と言う感覚が拭えなかった。

 

「何か変だなあ…。テレビのニュース見ていると『食料がない』、『物がない』って言ってるぞ。それに灯油が足りなくて、避難所にいる人が寒さに震えているらしいぞ。

どういうことになっているのか至急調べろ!」

 

 本来であれば救援物資は、被災した自治体からの要請により政府が調達して輸送することになるが、東日本大震災では、津波で自治体庁舎自体が流されている市町村もある。

 

機能している自治体でも被害状況、物資の必要状況を把握することは困難を極めていたため、「政府に救援物資を要請する」と言う手続き自体が崩壊していた。

一方で、九州の木崎西部方面総監からは、

 

「県から『救援物資を送りたいが、どうにかならないか?』と言う要請が来ていますが、どうしたら良いでしょう?」

 

との相談が持ちかけられていた。

 

 それに加えて14日になると、「政府が物資輸送を全日本トラック協会に要請したが片道燃料しかないから帰ってこられないと断られた」との情報が入ってくる。

 

「一体、どういうことになっているんだろうなあ…」

 

そう問いかけた火箱に対し、田邉陸幕装備部長がつぶやくようにボソボソと話し始めた。

 

「全国から物資を送る手段を考えた方が…」

 

「おっ!よし分かった!それで行こう!」

 

とっさのアイディアだった。

未明の陸海空幕僚監部素案

夜も更けた午前零時過ぎ、火箱は市ヶ谷防衛省17階の航空幕僚長執務室へ上っていった。

 

「おい!空幕長!岩崎空幕長はいるか?」

 

「何ですか陸幕長。こんな時間に…」

 

岩崎茂航空幕僚長(現 統合幕僚長)は、びっくりした表情で飛び出してきた。

 

「空幕長、ちょっと聞いてくれ!」

 

「例えば、西部方面隊だったら、福岡県始め、各県からの支援物資を最寄りの陸自駐屯地まで、持ってきてもらう。

そうしたら陸自がトラックで板付空港(福岡)まで運ぶ。

板付からは、空自が輸送機で、花巻空港(岩手)まで輸送する。

花巻からは、また陸自がトラックで各避難所まで運ぶ。

 

これを全国で展開し、民生物資の輸送を肩代わりするってのはどうだ?」

 

「中部方面隊だと、小牧基地だけでは四国・中国地方から遠すぎる。

だから、四国あたりで海上自衛隊にも運んでもらおうと思ってる。

岩崎空幕長が良ければ海幕長にも頼んでくるが、どうだ?」

 

 もちろん、岩崎空幕長に異論のあるはずもなかった。

 

かくして未明の陸海空幕僚監部で、全国規模の『民生支援物資輸送スキーム』素案が完成していった……。

 

              (次回につづく)

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