• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

 前編から約2年半を経て、あの連載がついに再開した。

陸上自衛隊史上最大の作戦となった「東日本大震災」。メディアが刻一刻と報じる裏側で指揮官たちは何を思い、何を考えて行動していたのか?

地震発生直後、陸自トップ火箱芳文陸上幕僚長(当時)のとっさの機転により、全国の陸上自衛隊はいち早く被災地に向かい、その結果より多くの命が救われた。しかし…

 火箱陸幕長率いる14万の陸上自衛隊の眼前には、自然の猛威に蹂躙され荒廃した大地が果てしなく広がる。

いつ終わるとも知れぬ災害派遣活動の中で、部隊は次第に憔悴の色を深めていく。

地震と大津波による災害への対処と福島第一原発事故という「二正面作戦」を強いられた陸上自衛隊。

どこまでいっても勝つことはない「自然災害との戦い」の先に、彼らを待ち受けていたものは?

第27回 軍の将 兵の将(2)

殺伐とした東北方面総監部

 東京から約7時間。清水たちが宮城県仙台市の東北方面総監部に到着した頃には、日は西の空に沈みかけていた。

 

 清水が見た震災から約72時間後の東北方面総監部は、すでに「混乱」という域を超え、「殺伐とした雰囲気」が漂っていた。

 

 東北方面総監部の隊員たちは、当然ながら災害派遣部隊でもあるが、と同時に被災者でもある。

 

 自分の家族の安否すら分からないままに自宅に帰ることすら許されず、すでに72時間以上、働きづめの状態になっている。

 

 その上、全国から集まってくる部隊の掌握にてんてこ舞いし、ほぼバンク状態に陥っていた。

 

 まずは、東北方面隊の最先任上級曹長から状況をヒアリングしたが、72時間一睡もしていない状況で、方面隊最先任上級曹長の疲労は頂点に達していた。

 

 

「総監部で現地の状況をこれ以上収集するのは難しいな…」

 

 

 清水は総監部での情報収集に見切りをつけると、全国から派遣された部隊の幕僚が詰めている作戦室に入り、これから現地部隊に赴き、情報を収集する旨の仁義を切って、とっとと総監部を後にした。

河村師団長との再会

 清水たちが向かった先は、仙台市の南に位置する船岡駐屯地。

 

 普段であれば仙台市内の東北方面総監部から車で数10分の距離にある船岡駐屯地には、3日前、地震発生当日に師団司令部で清水が見送った河村師団長以下の第10師団が指揮所を置いていた。

 

 第10師団は、船岡駐屯地に師団としての指揮所を置き、隣接する名取市や亘理(わたり)町などに展開していた。

 

 総監部を後にして約1時間、普段の倍の時間をかけて船岡駐屯地に到着したのは午後8時過ぎ、あたりはすでに漆黒の闇に包まれていた。

 

 指揮所は、駐屯地の体育館に設置されていた。

 

 この時刻になると、さすがに部隊の状況を視察することもできない。清水はまず、河村師団長を訪ねた。

 

 体育館に入ると第10師団の幕僚たちが一斉に「おまえ何をしに来たんだ?」、という視線を清水に投げかけた。

 

 清水は、ピリピリした表情の河村師団長に、話しかけた。

「師団長、明日から部隊の状況を見させてください。部隊の邪魔はしませんのでよろしくお願いします。」

 

 

「ああ、いいよ。見ろ。見るだけ見て、ありのままを陸幕長に報告してくれ。現場は手の付けようがない状態だ。

 

どっからやったら良いのか分からないが、72時間過ぎても、まだ生存者はいっぱいいる。

 

だからその救出からやっているよ…」

 

 

 河村の表情にも焦燥感が漂っていた。

 

 

「ところで東京の様子はどうだ。陸幕長はどうしてる?」

 

 

「なかなか現場の情報も入ってこないので、陸幕長も悶々とされているようで…」

 

 

「こっちも同じだよ。まったく情報が入ってこない…」

 

 

 中央も現場も双方に、入ってくる情報の余りの少なさにやきもきしていた。

 

 当然ながら、指揮所に清水たちの寝る場所はない。河村へのあいさつだけ済ませると、「寝場所」を求めて、清水たちは東北方面総監部のある仙台駐屯地へと戻って行った。

 

 清水たちに与えられた寝場所は、仙台駐屯地の隊舎の廊下。すでに全国各地の部隊や陸幕から集まった連絡将校(LO リエゾン・オフィサー)らで、廊下は足の踏み場もない状態になっていた。

 

 清水たちは、持参した毛布1枚をかけて、冷たい廊下に横たわった。

 

 気がつけば、朝から何も食べていなかったが、気が張っているせいか空腹も寒さも、さして感じなかった。

「途方に暮れる」とはこの事だな

翌朝午前6時。

 

 清水たちは、第10師団の展開する名取市の被災地に足を踏み入れた。

 

 昨日は夜だったのでほとんど分からなかった被災地の惨状が清水の眼前に広がった。

 

 清水は19年前、1995年(平成7年)の阪神淡路大震災の際に、まさに今、名取に展開している部隊の一員として、第10師団の指揮所があった神戸市東灘区の瀬戸公園に入った経験がある。

 

 

「あの時と同じだな…」

 

 

 阪神淡路大震災の時に、陸上自衛隊として一番乗りした清水は、神戸で思った。

 

途方に暮れるとはこの事だな…」

 

 

 すべてが灰燼に帰している神戸を前に、清水は、途方に暮れて、どこから手を付けていいのかすら分からないと感じた。

 

 名取の惨状を目の当たりにして、清水は19年前の阪神淡路大震災で味わった感覚をふつふつと思い出していた。

 

 

「しかし、陸幕長にこの状況を何と言って説明すればいいのか…」

 

 

 まさに「打つ手なし」とも見える絶望的な状況の中で、それでも必死に人命救助・捜索を行なっている派遣部隊。

 

 清水たちは、言葉を失った。

 

 その壮絶な光景には、「大丈夫か?」とか「何か困ったものはないか?」などと聞くことすらがはばかられる「鬼気迫る圧倒的な現実」があった。

猛烈な罪悪感

そして清水たち3人は、猛烈な罪悪感に襲われた。

 

 

「オレたちは災害派遣部隊でもないのに、陸幕から被災地に来て、現況だけ見て帰る。本当は手伝えばいいのに、申し訳ないな…」

 

 

 3人は、隊員に声をかけることもできず、ただ呆然と立ち尽くした。

 

 

「とにかく、目立たないようにしよう…」

 

 

 清水たちは、この時から、できるだけ「こっそり」と行動するようになる。

 

 3人は、言葉では説明しようのない、この『途方に暮れるような状況』を正確に火箱に伝えるため、まずは視界のよさそうな建物を物色し、その屋上にのぼった。

 

 そこからは、災害派遣部隊が展開している被災地が広い視界で眺め渡せる。3人はデジカメを使って、少しずつアングルを変えて数枚の写真を撮り、それを張り合わせて、手製の「パノラマ写真」を作った。

 

 「言葉に尽くせぬ状況」を言葉にするより、1枚の「パノラマ写真」の方が、その圧倒的な惨状と、災害派遣部隊の置かれた状況を雄弁に物語ってくれる。

 

 そのパノラマ写真には、遥か地平線の彼方まで、ほとんどの物が津波にむしり取られていった名取市の変わり果てた姿が記録されていた。

 

 清水たちは、これ以降、訪ねる被災地ごとに、火箱陸幕長への報告のために、こうした「パノラマ写真」を撮影するようになった。

 

 

(次回へつづく)

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