• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

 前編から約2年半を経て、あの連載がついに再開した。

陸上自衛隊史上最大の作戦となった「東日本大震災」。メディアが刻一刻と報じる裏側で指揮官たちは何を思い、何を考えて行動していたのか?

地震発生直後、陸自トップ火箱芳文陸上幕僚長(当時)のとっさの機転により、全国の陸上自衛隊はいち早く被災地に向かい、その結果より多くの命が救われた。しかし…

 火箱陸幕長率いる14万の陸上自衛隊の眼前には、自然の猛威に蹂躙され荒廃した大地が果てしなく広がる。

いつ終わるとも知れぬ災害派遣活動の中で、部隊は次第に憔悴の色を深めていく。

地震と大津波による災害への対処と福島第一原発事故という「二正面作戦」を強いられた陸上自衛隊。

どこまでいっても勝つことはない「自然災害との戦い」の先に、彼らを待ち受けていたものは?

第28回 軍の将 兵の将(3)

欲しい物は何もありません

 いくら罪悪感に取り憑かれていると言っても、火箱陸幕長の命令のもとに、ここまで来たからには、現場の隊員たちに「聞き取り調査」をしないわけにはいかない。

 

 

「何か足りない物はないか?活動中、困っていることはないか?」

 

 

 できるだけ優しい口調で清水がたずねると、隊員たちは異口同音にこう答えた。

 

 

「何もないです」

 

 

「……」

 

 

 その答えを聞いて、再び清水たちは押し黙った。

 

 小雪が舞う極寒の中、腰まで水に浸かりながら捜索作業をしている。戦闘服はドロドロのまま。冷えてカチカチに固まった缶詰の戦闘糧食だけを食べて、すでに数日が経過している。何も困っていないわけがない。

 

 「何でもいいから言えよ。メシとか大丈夫か?」

 

「いえ、…大丈夫です」

 

 

 それが大災害の現場に置かれた「自衛隊の姿」だった。

 

 良くも悪しくも、先人たちが、そして清水たちが日頃から厳しく教育してきた精華がそこに結実していた。

 

 

「物がなくてもがまんしろ!ある物でやれ!メシが食べられない?それが何だ?」

 

 

 自分も先輩たちにそうやって鍛えられ、そして自分も部下や後輩にそう言い続けて、訓練や災害派遣をこなしてきた。国民の負託に応えると信じ、精強な部隊を作るために、自他ともに厳しくあろうと生きてきたが、実際その努力が結実した成果を目の当たりにすると、たまらなく切ないものが胸にこみ上げてくる。

被災者の前で食事してはならない

さらにつらい気持ちになったのは、隊員たちの食事風景を見た時だった。

 

 被災者たちも満足な食事が行き渡っていない中、自分たちだけが食べるわけにはいかない…。

 

 カロリーを補給しなければ、災害派遣活動が維持できない。被災者の感情に配慮して食事を遠慮するという選択は、災害派遣活動において、決して合理的な判断とは言えない。

 

 しかし一種独特の「空気感」が現地部隊を支配していた。

 

 ある者は、自分のわずかな戦闘糧食を被災者に分け与え、何も食べずにがまんしてしまう。

 

 食事をする者も、トラックの荷台にカーテンを引いたり、車の陰に隠れたり、被災者に見られないように、こっそり音も立てずに交代で「缶メシ」を食べていた。

 

 

 「家族や生活のよりどころを失い、悲嘆にくれている被災者の前で、災害派遣活動以外の姿を見せてはいけない」

 

 

 きちんとしたトイレもない状況で、被災者に用を足す姿を見られるのもはばかられる。

 

 しかし水分を取れば、生きている以上、どうしてもトイレは行きたくなる。

 

 だから隊員たちは、水も飲まずに、塩分の強い「缶メシ」だけをただ食べ続けていた。

 

 清水たちも、この時点では、こうした状況が引き起こす事態を明確に予期しているわけではなかったが、独特の「情緒論」と過剰とも思える「被災者感情への配慮」は、目に見えず、しかし確実に内側から隊員たちの心身を蝕み始めていた。

もっと長い鳶口があれば…

 

打ちひしがれるような思いを胸に、昼過ぎ、清水たちは次の目的地 東松島市に向かうべく名取市を後にした。

 

 東松島市に到着したのは、午後3時過ぎ。にわかに冷たさを増した風に、春まだ遠い北国の夕暮れが近づきつつあるのを感じていた。

 

 JR仙石線 野蒜(のびる)駅近くには、福島県郡山駐屯地から派遣された第6特科連隊が展開し、松島湾と鳴瀬川を結ぶ東名運河などで捜索活動を行っていた。

 

 津波は堤防を超え、砂浜の広大な松林をなぎ倒し、東名運河を遡上した。

 

 野蒜の市街は運河により南北に貫かれている。運河と隣接しているJR仙石線 野蒜駅周辺は運河を遡上する津波ですべてのものがはぎ取られ、廃墟と化していた。

 

 第6特科連隊はその廃墟の中、運河や鳴瀬川などでひたすら捜索を続けている。隊員たちは「胴長」も支給されないままに、川をさらっている。

 

 隊員たちは、木製の柄に金属の穂先が付いた、廃屋の解体などで使われる「鳶口(とびくち)」を使って水中や水面の廃材を押しのけながら捜索活動をしているが、水深が深く、流れている廃材の量が尋常ではないため、通常の長さの鳶口では使い物にならない。

 

 そのため、長い青竹などを使って、ボートの上から無数の廃材をかき分け、水中を探している隊員もいる。

 

 

「長い鳶口が必要なんじゃないか?」

 

「…もっと長いのがあるなら、そっちの方が良いです」

 

 

 これが初めて隊員の口から聞くことのできた「業務上のニーズ」だった。

 

人の心のよどみ

東松島市での聞き取りを終えると、清水たちは岩手駐屯地(岩手県滝沢市)を経由し、岩手県北部の久慈市から、海岸沿いを南下、最初に訪れた宮城県名取市まで、3日間かけて点々と聞き取り調査を行なっていった。

 

 しかし、そうした被災地で知る現実は、必ずしも「耳障りの良い話」ばかりではなかった。

 

 「人の心のよどみ」とでも言うべき嫌な話も聞こえてくる。

 

 東日本大震災では、日本人の高い道徳性と秩序だった行動が、世界から賞賛されたが、犯罪行為が皆無だったわけではない。

 

 清水たちが訪れたある町では、一晩で大型量販店の電化製品が消えていた。

 

 名取市のキリンビール仙台工場では、地震と津波により、缶ビールなど約1700万本が流出している。夜になれば敷地に入り込む輩も出てくる。

 

 他県からの窃盗団も現れたが、地元警察は完全にパンク状態。結局、自衛隊の警務隊(自衛隊内の犯罪捜査・警備などを行なう部隊)が、夜間巡回をすることになった。

名取市閖上(ゆりあげ)地区は、明治から昭和の初めにかけて最盛期を誇った漁師町。今も多くの漁業関係者が住んでいる。

 

 漁師といえば、きっぷの良さと「現金商売」。家の中に大金が無造作に置かれていたが、津波によって、時には数百メートルも家が流されていた。

 

 そして、流された途中に点々と大金が落ちていたりするのだが、それを隊員たちが、当たり前のように「現状保全」している。

 

 

「すごいなあ…。自衛官はこの状況で金を盗んだりしないんだ…」

 

 

 自分の所属する組織ながら、清水は妙な感動を覚えた。

 

 当の現地部隊は、地元警察に連絡を取り対応を要請するが、警察はあまりに案件が多すぎて、とても手が回らない。

 

 「自衛隊さん、もう見つけないでよ」と逆に泣きつかれたりする。

 

 すると隊員たちは現場保全をする一方で、部隊の幹部が町内会長や地元自治体の顔役などに連絡を取り、対応について調整をし始める。

 

 発災からわずか1週間足らず、自衛隊は救助・捜索活動を担うだけでなく、マヒした自治体の代わりに、種々の行政機能を肩代わりせざるを得なくなり、本来、自衛隊が想定していない業務が急速に肥大化しつつあった。

 

 

(次回へつづく)

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