• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

陸上自衛隊 現在の実員数 約14万人。
創設から58年の歴史の中で史上最大の作戦は、言うまでもなく「東日本大震災への災害派遣」だ。
のべ派遣人員1066万人、派遣期間291日間、犠牲になった隊員は5名。
福島第一原発上空で放水する陸上自衛隊のヘリコプターのテレビ映像に釘付けになった人も多いだろう。
メディアで刻一刻と状況が報じられる裏側で、陸上自衛隊に何が起き、どのように作戦を遂行していったのか?
当時の陸上自衛隊トップ 火箱芳文前陸上幕僚長が2年近く経った今、「史上最大の作戦」の真実を語り始めた。

第6回 プロメテウスの希望 ゼウスの怒り(1)

 ギリシャ神話で、プロメテウスは人間の世界を知恵の火で明るくともすために、天上から『火』を盗み、人間に分け与えた。

プロメテウスの火によって人間は多くの恩恵を受けたが、その火を使って武器を作り、戦争を始めるに至って、ゼウスの怒りは頂点に達する。

 

 天上から火を盗み、人間に分け与えたプロメテウスはコーカサス山に縛りつけられ、生きながらにしてハゲタカに肝臓をついばまれると言う『永劫の罰』を与えられる。

 

 福島第一原発の事故は、人類にどんな教訓と試練を与えたのか?

 

 驚愕と絶望が交錯する事故現場で自衛隊は何を考え、何を守ったのか?

改めて「原子力災害対処」の現実を振り返ってみる。

始まりはあまりに穏やかに

 2011年3月11日15時37分。

地震発生から約50分後に襲来した津波により、福島第一原発は全交流電源喪失状態、すなわち『ステーション・ブラックアウト(SBO)』に陥っていた。

 

 だがこの情報が市ヶ谷防衛省に届いたのは、SBOから約1時間後の16時50分ごろ。

 

「冷却用ディーゼルエンジン停止。ただし緊急の危険はない。」

 

世界を震撼させた『福島第一原発事故』。

しかし、自衛隊にとってその始まりは、あまりに穏やかな雰囲気をまとっていた。

 

この第一報から約3時間、市ヶ谷防衛省には確たる情報も入らないままに状況は推移している。

 

18時に『大規模震災による災害派遣命令』が出されてから1時間半後、19時30分に防衛省は『原子力災害派遣命令』を発令した。

 

 だがこれとて、モニタリング支援、避難支援、除染支援と言った、「原子力災害時に自衛隊が担う計画上の任務」を想定した命令に過ぎず、「福島第一原発でトラブルが発生しているから万全を期す」以上の意味は何もない。

電源車をヘリで空輸してほしい

 その一方で、福島第一原発では『全交流電源喪失(SBO)』以降、電源復旧に向けて必死の作業が試みられていた。

 

防衛省に「冷却用ディーゼルエンジン停止」との一報が入った10分後の17時には、東京電力の電源車を福島第一原発に向けて出発させている。

 

 しかし、この電源車が渋滞に阻まれ、現地到着時刻のめどが立たないと分かると、東電は18時20分に東北電力にも電源車の出動を要請している。

 

 そんな状況の中、初めて防衛省に対し、政府から要請があったのは20時11分のことだった。

 

「陸幕長。東電からの要請で、電源車をヘリで福島第一原発まで運んでほしいと官邸が言ってきているようです。」

 

 『ヘリで電源車を運ぶ』

 

一見唐突にも見える要請だが、これには前例がある。

2010年10月、記録的な集中豪雨により奄美大島では各所で土砂崩れが発生、ライフラインが寸断された。

 

この時の災害派遣で、停電した地域に電力を供給するため陸上自衛隊はヘリで九州電力の高圧電源車を空輸している実績がある。

度重なる『不幸』の連鎖 メルトダウン

「そりゃ、すぐに運んでやれよ。

ただ、ヘリで運べるのかどうかはちゃんと確認しろよ。」

 

しばらくしてから、また火箱に報告があった。

 

「やはりヘリでの運搬はできませんでした。

電源車の総重量が9トン以上あるということで…」

 

 陸上自衛隊が保有する輸送ヘリ『CH-47チヌーク』。

積載重量が大きいことなどで世界各国の軍から需要が高く、初期型から数えるとすでに50年以上もロングセラーを続けているボーイング社製のタンデムローター(プロペラが前後に2つある)型輸送ヘリ。

 

 積載重量が大きい事が売りのCH-47チヌークをしても、9トン以上のつり下げ重量は限度ギリギリ。

 

それに、ただヘリからつり下げるだけでは、飛行中にヘリの下で電源車がくるくる回転してしまう。

つり下げ最大重量に達する電源車が空中で回転すれば、ヘリもろとも極めて危険な状態に陥る可能性がある。

 九州電力の場合は、幸運にも定年退官後に九電に再就職した陸自OBが、災害時に備えて西部方面隊と丹念な事前調整をしていた。

 

それが功を奏し、事前の訓練も行なわれるとともに、九州電力の電源車にサイズを合わせて安定した姿勢を維持しながらつり下げられる専用装置も周到に用意されていた。

 

さすがに『ぶっつけ本番』は無理だった。

 

「それじゃ、地上から運ぶしかないな…。」

 

 11日午後11時46分。東北電力の電源車3台をトレーラーで牽引運搬するため、第6特科連隊が郡山駐屯地を出発する。

 

 しかし、こうした「電源車集結の努力」とは裏腹に、現場では津波による被害が配電盤にまで及んでおり、いくら電源車を集めても、その電源を各機器に供給することができない状態にまで陥っていた。

 

 『不幸』とも言える事態が何重にも積み重なり、『ステーション・ブラックアウト』が長びくなか、福島第一原発1号機の炉心では、その後の運命を決定づける『炉心溶融(メルトダウン)』が人知れず始まりつつあった。

 

                  (次回につづく)

 

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