• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

陸上自衛隊 現在の実員数 約14万人。
創設から58年の歴史の中で史上最大の作戦は、言うまでもなく「東日本大震災への災害派遣」だ。
のべ派遣人員1066万人、派遣期間291日間、犠牲になった隊員は5名。
福島第一原発上空で放水する陸上自衛隊のヘリコプターのテレビ映像に釘付けになった人も多いだろう。
メディアで刻一刻と状況が報じられる裏側で、陸上自衛隊に何が起き、どのように作戦を遂行していったのか?
当時の陸上自衛隊トップ 火箱芳文前陸上幕僚長が2年近く経った今、「史上最大の作戦」の真実を語り始めた。

第8回 プロメテウスの希望 ゼウスの怒り(3)

中央即応集団 CRF

中央即応集団(Central readiness Force 略称CRF)

 

2007年創設。

国際平和協力活動から対テロ、対ゲリラ戦まで、まさに有事の際に即応するための防衛大臣直属の部隊。

隊員数約4,200人。

 

陸上自衛隊の上級指揮官の中で、中央即応集団の最高指揮官だけが『司令官』の肩書を持つ。

東日本大震災時の中央即応集団司令官は宮島俊信陸将。

 

その隷下には、火箱陸幕長の出身部隊である第1空挺団を始め、第1ヘリ団、中央作戦連隊(CRR)などの緊急展開機動部隊と、特殊作戦群、中央特殊武器防護隊などのエキスパート部隊を擁する。

このCRFに所属する中央特殊武器防護隊(中特防)の前身は、オウムのサリン事件などでも活躍した第101化学防護隊で、『NBC兵器(Nuclear=核兵器、Biological=生物兵器、Chemical=化学兵器)』の専門部隊だ。

 

東日本大震災当時の中特防隊長は、岩熊真司1佐。

 

周囲の評価は、『学者肌の、もの静かなタイプ』。

3月13日から冷却水・燃料運搬要請に対応するため福島第一並びに第二原発に派遣されていた。

自衛隊さんにしか頼めません

 14日午前9時過ぎ。岩熊1佐は現地対策本部長である、池田元久経済産業副大臣(当時)に呼び出された。

 

「今すぐ福島第一原発3号機に給水してもらえませんか?」

 

「現場の放射線量はどれくらいなんでしょうか?」

 

「それは分かりません。もう、自衛隊さんにしか頼めません。」

 

岩熊は思った。

 

「最後に行くのはオレたちなんだな……」

 

池田副大臣からの要請内容を電話で報告した岩熊に、CRF司令官の宮島俊信は言った。

 

「隊員の安全は確保できるんだろうな?」

 

「隊員の安全が確保できる範囲でやってきます。」

 

岩熊はそう答え、福島第一原発から5キロ離れた大熊町のオフサイトセンターを出発した。

オフサイトセンター出発

 指揮官車は「1/2トントラック」。

つまりは三菱パジェロを自衛隊仕様に改造したジープに岩熊が乗り込み、水タンク車6台が後続。

それぞれの車両に隊員2名づつが分乗する合計14名の班編成だった。

 

このうち4台の水タンク車を、福島第一原発正門が視認できるが、まだ放射線量が低い距離に待機させ、指揮官車と最初の水タンク車2台で正門に向かう。

このローテンションでピストン輸送を3回繰り返す計画だった。

 

陸自には、『化学防護車』や『NBC偵察車』と呼ばれる放射線や化学兵器、生物兵器で汚染された状況下で活動を行なうための専用車両がある。

 

気密性が高められ、外部には放射線、毒ガスなどを計測するセンサーや空気浄化装置も装備され、兵員を各種の汚染から守る設計になっている。

 しかし岩熊は、こうした専用車両を使わなかった。

 

中特防は高放射線量下で作戦行動をするための訓練を日頃積んできている。

 

だが実際に隊員たちが、そんな現場を経験しているわけではない。

誰でも初めて高放射線量下の環境に行くのは気持ちの良いものではない。

 

だから隊長である自分が率先して行く事によって、隊員たちの嫌な気持ちを払拭する必要があった。

それなのに自分だけが『安全な場所から指揮する』、などと言うことは考えられなかった。

 

「放射性物質が漏れている」とは東電から聞いているが、自分たちがどの程度までの『被曝』なら許容でき、安全に帰還できるのか?それを誰よりも自分たちが一番よく分かり、適切な行動を取りうるとの自負もあった。

 

現地対策本部からも、「水を供給してほしい。中では東電も引き続き作業を続けているので…」と言われていたから、よもや爆発に至るような状態とは想像もしていなかった。

福島第一原発3号機前 到着

 岩熊たちは福島第一原発の正門を通過すると、東電職員が詰めている免震重要棟に向かった。

そこで放射性ヨウ素を吸着する全面マスクを受け取る手はずになっていた。

 

全面マスクを装着し、隊員のタイベックス(防護服)を確認した後、再び車両に乗り込むと、作業場所となる3号機建屋に向かった。

 

同じ作業を前日も福島第二原発で行なっており、手順はよく分かっている。

 

トラブルが発生しなければ所要時間は5分程度で無事終えられるはず。

 

原発敷地内に入ると、線量率計の値は数10マイクロシーベルト/時。

 

累積線量も教科書で習った許容値の範囲内だったが、実際に自分の身に付けた線量計がピッピッと電子音を鳴らしながら着実に増えていくのは実に嫌な気分だった。

 

3号機建屋から約20メートルの地点まで進み、岩熊は指揮官車を止める。

後続の水タンク車2台も停止。

 

そのころ、福島第一原発から100キロ離れた仙台の東北方面総監部では、北澤防衛大臣が出席しての統合任務部隊指揮官の任命式がまさに始まろうとしていた。

 

                 (次回につづく)

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