• 防災知識

真に学ぶべき教訓は実体験にある

 想定外の巨大地震。一通りの防災知識は身につけたつもりでも、体験なき者にはリアルにその状況を想像することすら難しい。

『本当の教訓』は、たいてい教科書には載っていない。我々が知っている知識は、その時どれだけ役に立つものなのか?

 

 この連載では、ベストセラー『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』、『ふたたび、ここから』を執筆したジャーナリスト池上正樹とフォトジャーナリスト加藤順子が、実際に被災地を取材する中で感じた、さまざまな「被災地のリアル」を伝える。

そこから「被災するという事」をリアルに感じ、その日のために大切な教訓を学びとってほしい。

 

第4回 頼れるのは誰? 『近所づきあい』のリアル

イザと言う時のための『同窓会ノススメ』

 よく「医者と弁護士は知り合いにほしい…」などと言う話を聞くが、『大規模災害』の時に重宝する?知り合いって…。

 

消防士?警察官?自衛官?…

 

いやいや、もっと大事な職業を忘れている。

 

ある意味、残念な現実だが、地元にその職業の知り合いがいるかいないかだけで、被災後の生活はがらっと変わってしまうかもしれない。

 

大事なポイントは歩いても尋ねられるような『地元の知り合い』。

都市生活がどんなに便利になっていても、こればかりは『大規模チェーン店系』や『デリバリー系』、『通販系』では代用が効かない。

 

 この記事を読んだら、久しぶりに地元の小学校、中学校、高校の同級生と連絡をとり合ってみるのも『災害への備え』の第一歩かも。

 

子どもの頃から住んでいる町ならば、たいていクラスに1人か、少なくとも学校に1人は、そんな家業を継いでいるアイツがいそうなものだから…。

水道管の引き込み工事は『半年待ち』

 今回も在宅被災者の話。2011年の6月~8月にかけて、石巻市の沿岸部の在宅被災者の状況を集中的に取材した。

 

石巻市には、発災から3ヵ月以上が経った当時で3000世帯を超える在宅被災者がいた。

第1回でもお伝えしたように、様々な事情を抱えた人たちが、避難所に入らずに全壊認定を受けた家屋に暮らしていた。

 

 沿岸部にたつ在宅被災者の家の多くは、1階部分が津波や漂流物に破壊されてしまい、瓦礫の中から拾った板やブルーシートで覆うなどした応急処置のまま。

なんとか2階で暮らしている人が多かった。

 

 当然、修繕や復旧工事の需要が殺到し、請け負う業者は究極的な人手不足に陥っていた。

ある家庭では、家の目の前の水道は復旧しているのに、通りから我が家まで水道管を引き込むための工事が、「半年待ちといわれた」と嘆いていた。

『コネ』のある家から復旧していく現実

 みんなが恐ろしく不便な状態を我慢していたなかで、いち早く復旧を果たしていたのは、やはり大工さんや職人さんに「コネ」のある人たちだった。

 

「親戚」や「昔のよしみ」などで、他に優先して駆けつけてくれたところでは、事業を再開したり、修繕した部屋をボランティアに拠点として貸し出したりして、自ら支援活動を始める人もいた。

 

 コネがあっても、「家族が市役所職員だから」という理由で周囲の目線を気にして、あえて順番を待っているような家族もいた。

 

 ふと、自分の住まいのことを考えた。

東京の住宅街に生まれ育った私は、都会の便利さを享受しながら生きてきたが、電気、水道、ガスなどのインフラに何か支障が起きたり、衣食住の問題が持ち上がったりしたときに、頼る先が思い浮かばないのだった。

 

 そもそも地元の町に、頼れる工務店があるかどうかも知らない。屋根裏に上がって配線などをやってくれるような電気屋さんも知らない。

水道屋さんのおじいちゃんはまだ現役なんだっけ?

歩いていける距離の『頼れる存在』

「東京で何か起きたらさ、今度はウチらが東京に行く番だから」

 

 震災が起きた2011年の年末に、石巻市内で店の再開を果たした小料理屋「三幸」の主人がことあるごとに笑って言う。

本気で言っている。

 

 店の再開には、地元だけでなく関東にもいるご主人のサーフィン仲間たちが、入れ替わり立ち替わりやってきて、カウンターを付け替え、壁紙やタイルを貼り替えたりしてこぎつけた経緯があった。

 

 何かあったら遠くからでも駆け付けてくれる存在がいることは心強い。

でもそれは保険。自分の家から歩いていける距離で、頼れる存在を見つけなければ。

 

 そう思った瞬間、町の名前と水道工事とネットで検索している私がいる。

私が頼りにしているのは他でもない“グーグル先生(=即座に返答してくれるGoogle検索の敬称)”だった。

停電したら頼れない存在だってことは、もちろんわかっている。

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