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陸自史上最大の作戦 東日本大震災

陸上自衛隊 現在の実員数 約14万人。
創設から58年の歴史の中で史上最大の作戦は、言うまでもなく「東日本大震災への災害派遣」だ。
のべ派遣人員1066万人、派遣期間291日間、犠牲になった隊員は5名。
福島第一原発上空で放水する陸上自衛隊のヘリコプターのテレビ映像に釘付けになった人も多いだろう。
メディアで刻一刻と状況が報じられる裏側で、陸上自衛隊に何が起き、どのように作戦を遂行していったのか?
当時の陸上自衛隊トップ 火箱芳文前陸上幕僚長が2年近く経った今、「史上最大の作戦」の真実を語り始めた。

第12回 プロメテウスの希望 ゼウスの怒り(7)

幻の『決死作戦』

 ウィキペディアを見ると『鶴市作戦』と言う項目が掲載されている。

 

一言で言えば、火箱前陸幕長が福島第一原発での原子力災害対処のために極秘裏に立案し、しかし実行はされなかった『幻の決死作戦』だと言う。

 

この作戦については、新聞などいくつかのメディアでも取上げられている。

 

ウィキペディアでの記述によれば、『鶴市作戦』の名称は、大分県中津市にある『八幡鶴市神社』の故事に由来して付けられたという。

 

保元元年(1135年)、近くの高瀬川(山国川の旧称)に大きな井堰を構築するに当たって、人柱となるはずだった地頭に代わり、その家臣の娘である、お鶴とその一子 市太郎が『累代のご恩に報いるため』と身代わりを申し出、人柱となったと言う縁起だ。

 

火箱は幼いころ遠足で、この八幡鶴市神社を訪れている。

 

その母子の『犠牲的精神』にならい、『福島第一原発への幻の決死作戦』にその名前が付けられたと言うが…

 

この『幻の決死作戦』は本当に存在したのか?

事態が極度に緊迫する中、原子力災害対処をめぐって防衛省・自衛隊に一体、何が起きていたのか?

ヘリ放水要請

 15日午前10時25分。大熊町のオフサイトセンターから今浦CRF副司令が撤収する約30分前、市ヶ谷防衛省の大臣室では、緊急大臣・幕僚長会議が開かれていた。

 

出席者は、北澤防衛大臣、防衛省の各局長、並びに4幕僚長。

 

冒頭、北澤大臣が官邸からの要請を伝えた。

 

「福島第一原発が非常に危険な状態なので、自衛隊が放水してもらえないかという官邸からの要請がきています。」

 

「……。」

 

出席者はみな押し黙り、4幕僚長はお互いに顔を見合わせた。

 

「…やるしかないでしょう。」

 

誰ともなしにそう答え始め、ヘリ放水作戦の方針は了承されて会議はあっという間に終了した。

 

「命令が下されれば実行する」

 

それが、自衛隊という組織の暗黙の了解事項だった。会議から15分後、廣中統幕運用部長から宮島CRF司令官に連絡が入る。

 

「4号機が危険なので、ヘリからの放水を準備してください」

 

陸上自衛隊最強の部隊 中央即応集団(CRF)隷下の第1ヘリコプター団に、この危険な作戦の準備命令が下された。

隊員が無事生還できるよう

 作戦の指揮は統合幕僚監部に委ねられた。

 

「隊員が無事に生還できるよう、あらゆる防備策を取るように。」

 

火箱陸幕長からの指示は、この一点だけだった。

 

第1ヘリコプター団の輸送ヘリ CH-47チヌークは緊急展開時に兵員、装備等を空輸するためのもので、当然ながら高放射線下の環境で活動するための装備は全くない。

 

お世辞にも『気密性』などは、ほとんど考慮されていない。

 

そこから、機体内外に放射線測定センサーを取り付け、扉や窓など開口部をできる限りテープで『目張り』するなどの『応急改造』が施された。

 

搭乗する隊員にも鉛のチョッキの上に防護服を着用させ、パイロットの視野がかなり遮られるデメリットもあるが防護マスクも付けさせた。

タングステンシートを入手せよ

 誰も経験のない作戦。しかし何かしなければ隊員に犠牲者が出るかもしれない。

 

分からないながらも、みんなであるだけの知恵を絞り出すしかなかった。

 

そんな中、陸幕装備部の権藤開発課長(当時)が偶然にも、東日本大震災の直前の学会で、住友電工グループの「アライドマテリアル」というメーカーの自由自在に切り貼りできるタングステンシートが放射線遮へいに有効だと聞いていた。

 

すぐにアライドマテリアル社に連絡し、事情を説明して「請求書などは事後精算」と言うことで調達の了承を取りつけるが、タングステンシートが在庫してあるのは兵庫県だという。

 

陸幕装備部から、伊丹の第3後方支援連隊に調達の命令が伝わったのは午後5時。

 

タングステンシートをアライドマテリアルから受け取ると、180キロ離れた愛知県の航空自衛隊小牧基地に陸路向かい、そこから空自のC-1輸送機で福島空港へ空輸。

 

そして福島空港から140キロ余り離れた仙台市の霞目駐屯地まで、また陸路運び込んだ。

 

第1ヘリ団が作戦準儀をしている霞目基地にタングステンシートが到着したのは翌16日の午前8時30分。

 

この日午後には第1回目の放水をする予定だから、その場で切り貼り作業を始め、2機のCH-47の床にタングステンシートを敷きつめるという、応急処置ぶりだった。

チェルノブイリに詳しい経産省官僚

 15日の市ヶ谷防衛省は人の出入りが慌ただしく、騒然とした空気に包まれていた。

 

翌日にヘリ放水作戦を控え、その準備に忙しかったこともあるが、前日の3号機爆発事故と、オフサイトセンター撤収以降、自衛隊が原子力災害対処の最前線に立たされたことにより、外部からの関係者も省内に多く出入りするようになっていた。

 

それは昼過ぎのことだった。

 

防衛省地下3階 指揮所脇の部屋で、ヘリ放水作戦についての4幕僚長会議が終了した後、統幕や陸幕の幕僚たちとその部屋に残っていた火箱に、一人の男が声をかけてきた。

 

「陸幕長にお話ししたいことがあります。」

 

旧通産省から防衛庁装備局長、特許庁長官などを歴任し、防衛大臣補佐官に起用された及川耕造補佐官(当時)が原発対処のために呼んできた経済産業省の官僚らしい。

 

その官僚はチェルノブイリ原発事故についても詳しく研究し、造詣が深いと言う。

陸幕長、ホウ酸をまいてください

 彼は開口一番、火箱に対し、こう切り出した。

 

「すでに福島第一原発は、『空焚き状態』なっていると思われます。

陸幕長、ホウ酸をまいて下さい!

もうホウ酸を入れないと相当厳しい状況です。」

 

「……」

 

あまりの事に、火箱はあぜんとした。

 

ホウ酸をまく、と言うことは、福島第一原発を『石棺化する』と言うことに他ならない。

 

仮に直面する危機を回避出来たとしても、それは福島第一原発が『未来永劫の死地』になることを意味する。言わば『最後の手段』だ。

 

「特に、炉内の圧力が上がらない2号機が最も危険な状態にあると思います。

炉心溶融の可能性がある2号機に対しては、すぐにでもホウ酸を投入しないと。」

 

1号機と3号機は、水素爆発により、建屋の天上が吹き飛んでいるため、比較的ホウ酸を投入することが容易にも思えるが、2号機は建屋そのものが残っている。

 

そこに上空からホウ酸を投下するのはどう考えても効果が期待できない。最悪の場合、高放射線量下の原子炉建屋にヘリからロープで人が降りる必要がある。

 

「決死隊だな…」

 

火箱は、自分の目の前に座る経産省官僚を見つめながら、心の中で『隊員の死の可能性』がよぎるのを感じていた。

 

              (次回につづく)

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