• 歴史

東日本大震災が起きてから、日本の歴史が震災という新たな角度で注目されるようになった。

 

M8.0クラスの大震災
富士山の噴火
大飢饉を招いた気候の寒冷化
など

 

かつては「大げさ」の一言で片付けられがちだった古文書の内容が、現実を目の当たりにして笑い事では済まされなくなったからだ。


歴史の記録には、我々の祖先が体験してきた貴重な記憶が詰まっている。

当連載では、それをやさしく紐解くことで、災害の今昔を学んでいきたい。

第五巻 地震はナマズのせいじゃ! 豊臣秀吉を襲った2度の大震災

 ナマズは、地震を起こす動物として知られている。

 

 古代日本では龍や地妖と呼ばれる怪物が地震を起こすと考えられてきた。こうした伝説上の動物ならば地面を揺り動かすことも、さもありなんだが、なぜナマズなのかと問われたら、答えられる方は少ないだろう。

 

 言い出しっぺは、かの有名な戦国大名、豊臣秀吉である。

 

 

飛ぶように大阪へ逃げた

 織田信長が明智光秀に討たれた『本能寺の変』の1582年。中国地方で毛利家攻略に挑んでいた豊臣秀吉は、治水技術を利用して高松城全体を川の水で囲い込み、日本史上類を見ない規模の水攻めをしていた。このときばかりは自身のことを「自然すら操れる天才」と勘違いしただろう。

 

 その年、明智光秀を倒したことで、天下人の絶頂を極めた秀吉を待っていたのは、とても自分ではコントロールなどできない2度の大地震だった。

 

 最初の震災体験は、本能寺の変から4年後の1586年1月である。

 この時、秀吉は琵琶湖沿岸の坂本城にいた。突如起きた地震のために各地の城や建物は倒壊。激しい揺れに驚いた秀吉は「飛ぶように大坂へ逃げた」と宣教師のルイス・フロイスが書き記している。

 

 琵琶湖対岸の長浜にいた山内一豊の6才の娘や、加賀にいた前田利家の弟など、秀吉と親しい武将たちが家族を失うほどの大きさだった。これまたフロイスの報告では、長浜地区にあった1000戸の集落では、地面が割れて半数の家が倒壊し、半数は火事で焼失したという。

 

 この記載は近年、琵琶湖の湖底に消えた下坂西千軒遺跡・西浜千軒遺跡の水中考古学調査で確認された。2つの集落は、地震の液状化によって地盤が脆くなり、巨大な地すべりによって村ごと沈んだのである。

 

 村ごととは大げさな?と思われるかもしれない。フロイスの表記通りならば長浜地区で1000戸の半数500戸が倒壊しており、そのうちいくつかの集落があっただろうから、実数の確定は難しいが、それぞれの遺跡で数十戸単位で消えたはず。合わせて50戸前後ぐらいが妥当か。当時の小さな掘っ立て小屋ならば、十分にありえる数字である。

 

 いずれにせよ、液状化による地すべりによって村は湖底へ消えてしまった。地盤の弱い湖畔に建っていたら、一瞬のことであっただろう。

 

 

 

琵琶湖の主に天下人が「お墨付き」を

 西日本、中部日本各地では地面が割れ、裂け目から臭い泥が噴出したとの報告もある。この光景は、東日本大震災時の浦安市を思い出していただければわかりやすいかもしれない。液状化によって地下水と砂が湧いて出てくる噴砂というやつだ。

 

 津波被害は? 当然のように出てくる疑問であろう。この地震、後に「天正地震」と呼ばれることになるのだが、日本海側の若狭湾には大津波が押し寄せ、明智光秀以来の名城・坂本城はこのときの被害を境に廃城となり、大津へと移設されている。

 さほどに大きな被害をもたらした天正地震だが、ハッキリとした震源や規模は判明していない。現在ではM7.0~M8.0と考える研究者が多いようだ。

 しかし、このとき一つの推論を主張する男がいた。

 

「地震の原因はわかっとる。琵琶湖の大ナマズのせいじゃ!」

 

 そう。天下人の豊臣秀吉だ。現代の我々から見ればバカバカしい主張だが、当時の人間がそう思うのも仕方なかった。昔から琵琶湖の主は大ナマズと真面目に考えられていたのである。

 

 空前の地震を経験し、諸説が流れる中、自分の目の前にあった琵琶湖とムリヤリ結びつけてしまったのであろう。いずれにせよ、天下人が「お墨付き」を与えてしまったことで、ナマズは地震を起こす生き物として確定されていく。

 

 

 

完成直後の伏見城に恐怖の活断層型地震

 天正地震から6年後の1592年、秀吉が新たな本拠地として、京都の伏見に城を作ろうと計画した。京都所司代の前田玄以に「伏見城の普請(建設)には、ナマズ対策を万全にしろ」と命令している。

 

 担当者は当時としては最高の地震対策を施したことだろう。ところが、1596年に再び近畿を震源とする、今度は活断層形の地震が起きた。

 現代でも、原発の敷地内にある断層が「活断層ではないか」と懸念されているのはご存知だろうか。プレート型(東日本大震災)と比べ、活断層型地震(阪神大震災)はマグニチュードの規模は小さくても、震源が浅く(近く)なるため揺れが大きく伝わり、被害が非常に大きくなる傾向がある。

 実際、このときの慶長伏見地震は、想定M7.0~8.0の規模で、阪神淡路大震災を彷彿させる大災害を近畿圏にもたらし、大坂・堺・神戸など、各地で家々は倒壊。多数の死傷者が出た。

 

 秀吉ご自慢の伏見城天守閣は、あろうことか完成直後に倒壊。城内でも多数の死者が出た。

 

 この慶長伏見地震の2年前、豊臣秀吉は、映画『のぼうの城』で有名な忍城を、石田三成に命じて水攻めをさせていた。敵方の兵数500に対し、豊臣方は2万。一気にもみ潰せる敵をもてあそぶかのように水で囲み、自然をコントロールすることで権力を誇示したのである※1。

 

 

 最初の天正地震では、恐怖のあまり琵琶湖のナマズのせいにした秀吉。

 そんな迷信にオロオロする姿を想像すると思わず笑ってしまうが、2度めの大地震は、もしかして自然を操ろうとして『天罰が下ったのではないか?』と考えてしまう、少々オカルトな自分もいる。

 

 

 

※1映画『のぼうの城』では水攻めをしたのは石田三成の判断となっている。しかし史実では、城を水で囲み、落城を遅らせる命令が豊臣秀吉から出ていた。小田原征伐における一連のパフォーマンスだった可能性が高い。

 

 

 

文・恵美嘉樹(えみよしき)
作家。歴史研究の最前線の成果を社会に還元する二人組。
著書に『全国「一の宮」徹底ガイド』(PHP文庫)、『最新日本古代史の謎』(学研)など。

 

参考文献

滋賀県文化財保護協会編『びわこ水中考古学の世界』(サンライズ出版)

 

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