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陸自史上最大の作戦 東日本大震災

陸上自衛隊 現在の実員数 約14万人。
創設から58年の歴史の中で史上最大の作戦は、言うまでもなく「東日本大震災への災害派遣」だ。
のべ派遣人員1066万人、派遣期間291日間、犠牲になった隊員は5名。
福島第一原発上空で放水する陸上自衛隊のヘリコプターのテレビ映像に釘付けになった人も多いだろう。
メディアで刻一刻と状況が報じられる裏側で、陸上自衛隊に何が起き、どのように作戦を遂行していったのか?
当時の陸上自衛隊トップ 火箱芳文前陸上幕僚長が2年近く経った今、「史上最大の作戦」の真実を語り始めた。

第10回 プロメテウスの希望 ゼウスの怒り(5)

もう一人の特殊部隊指揮官

 火箱陸幕長が福島第一原発3号機の爆発事故をテレビで知ったと同時刻、東京都練馬区にある朝霞駐屯地でNHKのニュースを凝視している、もう1人の指揮官がいた。

 

中央即応集団(CRF)司令官 宮島 俊信。

 

「あーっ!やられちゃったか……」

 

テレビの画面に映る爆発の煙は、1号機の爆発の時よりも1.5倍ぐらい高く空に立ち上り、爆発の凄まじさを物語っているかのようだった。

 

「まずいなあ……、死んでなきゃいいが。」

 

火箱と同じレンジャー徽章を胸に付ける宮島も、一言で言えば「特殊部隊の指揮官タイプ」。

 

そして「中央即応集団」と言う陸上自衛隊最強の部隊を率いる、まさに「特殊部隊指揮官」の任に当たっている。

 そんな二人の行動様式は、東日本大震災の発生直後から似通っていた。

 

「こんな時はヘリが何機でも必要になるはず……」

 

そう思った宮島は、全陸上自衛隊に出動命令を発した火箱と同様に、どこからの指示も要請もないままに、発生当日11日の午後5時前に、独断で隷下の第1ヘリコプター団(木更津)から輸送ヘリ(CH-47)を3機、被災地に向けて発進させている。

 

発災当初、仙台市にある霞目駐屯地(飛行場)は、火箱の号令により第12旅団のヘリ部隊など各部隊のヘリが集結しつつあり、史上空前の過密状態になっていた。

 

「航空統制が必要だ」

 

11日深夜に電話で火箱と相談した宮島は、さらに翌12日午前5時、日の出とともに金丸章彦第1ヘリ団長を調整役として霞目駐屯地へ飛び立たせている。

黙って聞け、質問するな、耐えろ

 福島第一原発3号機事故の第一報を宮島がテレビで知った後、オフサイトセンターにいる現地LO(連絡将校)からCRF司令部や陸幕への情報は錯綜し、デマが飛び交った。

 

午前11時20分には、負傷者をオフサイトセンターに後送中との第一報。

午前11時55分には、消防ヘリが墜落したとのデマ情報。

午後12時20分に、4人が負傷との報告があるが、5分後には負傷者数が6人に増える。

 

 この間、宮島は部下からの報告を求めず、ただひたすらに耐えた。

宮島には、日頃から自分に課している指揮官の心得があった。

 

「黙って聞け、質問するな、耐えろ」

 

事故などの報告は、情報が錯綜する場合が多い。指揮官が報告を求めれば求めるほど、部下には負荷がかかり、本来やるべき作業がおろそかになる。

 

宮島は正確な状況を現地が把握できるまで、ひたすら何も言わず待ち続けた。

 

最終的に負傷者の氏名も含めて状況が確認できたのは、事故発生から約2時間が経過した午後12時55分。

現地オフサイトセンターの混乱ぶりを宮島は肌で感じていた。

自衛隊は最後に撤収しろ

 福島第一原発3号機の爆発事故から5時間後の14日午後4時。

CRF副司令の今浦勇紀が自衛隊側の連絡調整役としてオフサイトセンターに到着した。

 

午後8時35分。今浦から宮島に電話で報告が入る。

 

「オフサイトセンターも相当放射線量が高くなっています。

このままいったら非常に危険な状態になります。

今、池田副大臣を中心に撤収計画の検討が始まりました。」

 

福島第一原発は3号機の爆発に続いて、2号機にも危機が差し迫っていた。

 

夕刻、吉田昌郎所長は、最低限必要な人員だけ残し、200人以上の職員・作業員を原発から退避させいている。

 

「分かった。撤収するのは認めるが、自衛隊を一番最後に、全員異常なしを確認してから撤収するんだぞ。」

 

宮島は、その事だけを今浦に念押しして電話を切った。

22時22分2号機メルトダウン予定

 午後9時25分。再び今浦からの電話が鳴った。

 

「やっぱりオフサイトセンターは閉所します。

新しいオフサイトセンターは福島県庁のようです。

先遣隊はすでに出発しました。主力は約140名ですが、2班に分かれて撤収します。」

 

「……。」

 

「それから、早ければ2号機のメルトダウンは22時22分ごろだそうです。」

 

現地オフサイトセンターでは2号機について、

 

18時22分 燃料棒露出

20時22分 炉心溶融

22時22分 圧力容器損傷

 

との東電の予測が現地対策本部会議で報告されていた。

 

だが、「メルトダウン」と聞いても、宮島にはまったくピンと来なかった。

 

メルトダウンが起きると、実際どの程度の被害が発生するのか?

それにメルトダウンが起きようが起きまいが、自衛隊は必要な任務を全うし、最後に撤収するしかない。

 

メルトダウンの予定時刻を聞いたところで何かオペレーションが急に変わるわけでもない。

 

ただ、普段、冷静沈着な今浦の声が珍しく緊迫している事が気にかかった。

きっと、極度に緊張しているオフサイトセンターの雰囲気が伝染したんだろう……。

 

「分かった。落ち着いて行動しろよ。」

パニックの伝染

 この日の福島第一原発2号機の危機は、岩熊1佐らが巻き込まれた3号機の爆発によりドミノ倒しのように誘発された。

 

3号機水素爆発の衝撃で、2号機ベント弁(排気弁)の回路が閉じ、原子炉内の圧力が上がり続ける。

 

炉内の圧力が高いと注水することができないし、注水できなければ次第に冷却水は減る。

そうなれば、いずれは燃料棒が露出し、次第に炉心が溶融して、最後は圧力容器を溶かして放射性物質が外部に漏れ出す事になる。

 

吉田所長たちは直流電源をも失ったベント弁回路にバッテリーをつなぎ、原子炉内の圧力を下げるべく懸命の努力を繰り返していたが 、ベント作業はなかなかうまくいかず、注水もはかどらない。

 

東電もついに「お手上げ」の状態になり、官邸やオフサイトセンターは緊張と絶望のピークに達していた。

 

夜になり、オフサイトセンター周辺も放射線量が上がり続け、全員が安定ヨウ素剤を飲み、室内でもマスクを付ける状況に陥った。

 

「チェルノブイリのような、もしくはそれ以上の致命的原子力災害」

 

漆黒の夜の闇の中でカタストロフィーへの恐怖は人から人へ伝染し、それは自衛隊をも静かに包み込もうとしていた……。

 

             (次回につづく)

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