• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

陸上自衛隊 現在の実員数 約14万人。
創設から58年の歴史の中で史上最大の作戦は、言うまでもなく「東日本大震災への災害派遣」だ。
のべ派遣人員1066万人、派遣期間291日間、犠牲になった隊員は5名。
福島第一原発上空で放水する陸上自衛隊のヘリコプターのテレビ映像に釘付けになった人も多いだろう。
メディアで刻一刻と状況が報じられる裏側で、陸上自衛隊に何が起き、どのように作戦を遂行していったのか?
当時の陸上自衛隊トップ 火箱芳文前陸上幕僚長が2年近く経った今、「史上最大の作戦」の真実を語り始めた。

第11回 プロメテウスの希望 ゼウスの怒り(6)

鈍感?なリーダーシップ

 火箱陸幕長と宮島CRF司令官は、「発災当初の行動様式が似ている」だけでなく、3月14日夜についての認識も、また驚くほど似通っている。

 

2人の認識はかいつまんで言えばこうだ。

 

「14日夜には、状況に何も大きな進展はなかった。」

 

刻々と変化する情報は、それが任務の大きな変更に関わらない限り、彼らは「報告」として受け取るのみで、すべてが捨象されている。

それは「メルトダウン」など、自分の力が及ばない専門外の事については、その運命をただ甘受して、淡々と自分のできる事のみに専念しようとしているようにも見える。

 

この、ある種の『鈍感な?リーダーシップ』は、福島第一原発と東電本店から上がってくる情報に一喜一憂し、怒声をあげて細部にわたる指示を下していた菅総理ら官邸のイニシアティブと極めて対照的だ。

 

これを、どちらがリーダーとして責任ある態度か、もしくはどちらが正しいリーダーシップの在り方なのかなどと論じる気はもとよりない。

 

ただ一つだけ言える事は、14日の夜に、官邸が危惧していた決定的なカタストロフィーは結局起こらず、火箱や宮島の認識通り、何とかこの国は次の日の朝を迎える事ができたという事実である。

 

しかし全ての部隊が、火箱や宮島のような『一枚岩』でいられたわけではなかった。

 

 

最高危険レベル MOPP4発令

 NBC(核兵器、生物兵器、化学兵器)戦において、『任務志向防護態勢』と言う言葉がある。

 

かいつまんで言えば、「任務を行なう上で、どれだけ危険な状態に準備しなければいけないか?」と言う指標だ。

 

『任務志向防護態勢』では、危険レベルを0から4まで5段階に分けており、最高危険レベルは『MOPP(モップ)4』。

 

自衛隊では1995年の地下鉄サリン事件の時に発令されたのみである。

 

14日午後9時過ぎ。

 

宮島CRF司令官が、オフサイトセンターにいる今浦CRF副司令から「メルトダウン予定時刻は早ければ22時22分。」と告げられる数10分前に、避難指示区域の被災者支援にあたっている第12旅団に、この『MOPP4』が突如、発令された。

 

火箱も宮島も、まったくあずかり知らぬ事態だった。

 

宮島と同様に今浦からメルトダウン予定時刻について連絡を受けた第12旅団は、自身の判断でMOPP4を発令するとともに、被災者支援を即時中断して、隊員を屋内避難させた。

 

空白の3時間

 午後10時22分。

メルトダウン予定時刻を過ぎても何も起らない…。

被災者支援を中止した自衛隊に、地方自治体からは状況確認と怒りの電話が届く。

 

日付が変わってMOPP4発令から3時間後の15日午前零時15分。

MOPP4は解除され、第12旅団は何事もなかったかのように当初の任務に復帰する。

 

極度に錯綜する情報とカタストロフィーへの漠然とした恐怖が広がり、政府も自治体も現地部隊も、関係者の全てが巻き込まれた、まさに狐につままれたような『空白の3時間』が生まれていた。

 

宮島は、後日この事実を知る。

 

「CRFから全然情報が来ない!」と堀口英利第12旅団長が怒っているとの話を聞いた宮島は、防大陸上部の先輩・後輩の間柄でもある堀口に電話をかけた。

 

「お前、何をそんなにカリカリ怒ってるんだ?

我々だって情報がないんだ。情報がない中でも淡々と仕事をしようぜ。」

 

錯綜する情報に翻弄されながら、4000人の隊員の命を預かる第12旅団長として、隊員の生命と被災者救出の使命のはざまで、堀口もまたぎりぎりの決断を迫られていた。

浮き足立つな!

 メルトダウン予定時刻の約10分前。

午後10時10分に再び今浦から宮島に電話が入った。

 

「池田副大臣が21時42分に回りの人を集めて、『本体の人が浮き足立っているので、浮き足立つな』と言う事を徹底しました。」

 

この時間帯こそが、オフサイトセンターの緊迫がピークに達した時だった。

 

そして、翌朝15日午前7時55分に再び今浦からの電話がある。

 

「午前6時40分に池田副大臣がオフサイトセンター移転についての会議を開きました。」

 

この時、オフサイトセンターでは、放射線量が増加し続ける中、今浦の提案により、撤退する場合の『離脱条件』を決めていた。

 

 そして午前9時30分。

 

「池田副大臣が海江田経産大臣にオフサイトセンター移転について具申しました。現在、許可待ちです。」

オフサイトセンター陥落

 今浦から宮島への報告とほぼ時同じくして、午前9時32分。官邸からの指示が火箱のもとにも届く。

 

「福島第一原発が極めて危険な状態なので、オフサイトセンターの任務は中止せよ。燃料運搬任務も中止。」

 

それから1時間半後、宮島の指示通り最後の一人になるまでオフサイトセンターに残った今浦から最終連絡を受ける。

 

「全員異常なし。

全員撤収して、今から私が最後に撤収します。」

 

報告を受けて、宮島が時計に目をやると、時刻は午前10時59分だった。

 

全交流電源喪失(ステーション・ブラックアウト)から90時間余り。

 

有効な打開策を見出せぬままに、原子力災害対処のとりでであるオフサイトセンターは陥落し、現地対策本部は福島第一原発から約60キロ離れた福島県庁への後退を余儀なくされた。

 

            (次回につづく)

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